福崎町が生んだ民俗学の父・柳田國男。彼の残した膨大な知恵を、ただの「知識」としてではなく、現代を生きる私たちの「視点」として捉え直す特別な時間が、神崎郡歴史民俗資料館で持たれました。
園田学園大学学長の大江篤先生による講座と、福崎高校生による地域探究発表会。そこには、地域の課題を解決し、毎日をワクワクさせるためのヒントが溢れていました。
「祟り」は怖いもの?柳田國男が解き明かした言葉の「真実」
私たちは「祟り(たたり)」と聞くと、ホラー映画のような恐ろしい罰を想像しがちです。しかし、大江先生は柳田國男の初期の論考を引き、その認識を鮮やかに覆しました。
- 「現れ」という名のメッセージ: 柳田は1913年の時点で、祟りの語源が「称(たた)え」や「例(たと)え」と同じであり、本来は神が自らの意思を人間に示す「神託(しんたく)」であったと見抜いていました。
- 罰ではなく対話: 古代の人々にとって、祟りは一歩的なバツではなく、神様が「ここにいるよ」と現れる、いわばコミュニケーションの形だったのです。
- 柳田と折口の共鳴: この発見は、後に折口信夫が提唱する「神が依代に降り立つ(神たり)」という概念とも深く響き合っています。
「怖い」と思っていたものが、実は「目に見えない存在との対話」だったという気づき。この視点の転換こそが、日常の風景に新しい彩りを与えてくれます。
ネットを超えて、身体で学ぶ。福崎高校の「地域探究」という冒険
福崎高校の間森先生は、学校が直面していた意外な課題を明かしました。
生徒の約7割がJRを利用して町外から通学しているため、多くの生徒にとっての福崎町は「駅から学校までの約300メートル」でしかなかったのです。
この「300メートルの壁」を壊すため、同校が4年前から取り組んでいるのが、スマートフォンの中の検索(ネット探求)ではなく、自らの足で歩き、身体で感じる「地域探究学習」です。
- 五感で歴史に触れる: 古墳の石室に実際に入り、その暗闇と冷気に「本物のドキドキ」を感じる。
- 地域に飛び込む: 普段は決して見ることのできない木像の裏側の文章を読み、お寺の鐘に触れるといった特別な体験を通じ、歴史を「自分事」として捉えます。
- 「自分」を発見する: 福崎町を歩くことで、生徒たちは不思議と自分の出身地(ふるさと)への関心も高まっていくといいます。
地域に関わり、自分たちの役割を考えることが、結果として自分自身の生き方を豊かにすることに繋がっているのです。
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結び:日常を「探究」に変えるために
大江先生は、高校生たちの瑞々しい発表を受け、「気づいたことを自分の言葉で残し、フィードバックすること」の大切さを説きました。
それは、かつて柳田國男が『採集手帖』に人々の声を丹念に書き留め、日本の心のありかを探したプロセスそのものです。
地域の歴史や文化を学ぶことは、過去を懐かしむことではありません。
先人の知恵を借りて、今この瞬間を面白がり、自分たちの手で未来を面白くしていくための「冒険」です。
福崎町の歴史と若者のエネルギーが交差したこの日は、まさにその冒険の出発点となりました。














































