2022年3月のとある日、編集部宛に一通の調査メールが届きました。
「(福崎町西田原の)道沿いにある墓 白佐権現と言う神様ってどこから来てどんな神様ですか?」
福崎町商工会内に編集部を置く当サイト。福崎町にかかわらず、大小かかわらず様々な近隣市町情報につて質問を頂くことがあります。
場所は辻川山、鈴の森神社から井ノ口へ抜ける道の途中。
権現(ごんげん)とは
仏教の仏様や菩薩様が神様の姿をとって現れたものとする神号で、自然(山)や自然現象にも用いられていた模様。先の「白佐権現」もそのひとつでしょう。
2013年9月に撮影されたGoogleストリートビューでは「白佐権現」周辺では奥に巨樹があり、神社周辺を囲む鎮守の森を想像することは難しくありません。
「白佐権現」の謎を追え
神崎郡福崎町内の神社といえば、秋祭りで賑わう「熊野神社(西田原)」「二之宮神社(山崎)」、柳田國男ゆかりの「鈴の森神社」あたりが有名ですが、昨今はネット上でなにかしら判るもの。
ほぼほぼ情報 NOTHING!
国際的なデジタルデータの量は2020年には約40ゼタバイトと予想されていますが、膨大なネット情報の中に福崎町「白佐権現」は確認できず。
全国では、大隅半島の南部に位置する稲尾岳(稲尾権現)の山麓周辺の鹿児島県辺塚で「白佐権現(白佐神社)」の名を確認することができ、『南九州の伝統文化 – 第 1 巻 – 83 ページ 著者: 下野敏見』では「(白佐権現は)棚田の下方に鎮まっており、氏神の近津宮(辺塚では稲尾岳の揺拝所)で、社殿の脇の小祠を二つ祭り、牧場から移したバトカン(馬頭観音)を祭っている」とあります。
山と言えば近くでは日光寺山が地元では有名ですが、「白佐山」という山も無く、「白佐権現」がなんの神様なのか分からず、謎は深まるばかり。
有力情報をゲット
謎に取り付く島もなく数日経過したころ、町内の方から有力な情報を頂きました。
- ①奥に見える巨樹の場所にはもともと「九之宮神社(くのみやじんじゃ ※九ノ宮?九宮?)」があったが、現在は鈴の森神社に合祀されている
- ②「白佐権現」は九之宮神社と関係はない
- ③他の地区で祀られていた五柱の神様の一柱で遷ってこられた
- ④もともと祀られていた神社の近くには「権現池」というものがある
※町内「二之宮神社」に倣い「九之宮神社」で仮表示
近くの鎮守の森らしき場所に「白佐権現(白佐神社)」があるものと考えていましたが、どうやら別の神様ということが分かりました。
ある程度情報も揃ったので現地へ向かうことにします。
現地へ
石碑には「一十七百代々」「白佐權現」「昭和十九年五月」の文字を確認することができ、昭和19年(1944)に据えられたことは分かるものの、「一十七百代々」という言葉の意味は一体?
「九之宮神社」跡
祀られていた神様は「鈴の森神社」へ遷っていますが、見えていた巨樹は「エノキ」で平成21年に福崎町指定の保存樹。神社跡は畑になっていました。
白佐権現の石碑からの情報以外を求め、情報提供のあった「③他の地区で祀られていた神様が遷ってこられた」という点について裏づけを求めて移動してみます。
詳細は「オオトシ神社に祀られている五柱(五つの神様)のひとつが現在の位置に『白佐権現』として遷ってこられた」というもので、近くには「権現池」があり、否が応でもその関連性は高そう。
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