地元兵庫県から世界へ羽ばたこうと挑戦を続ける、兵庫県宝塚市出身のプロダンサー、Karen Saito さん。
倖田來未さんや三代目J SOUL BROTHERSなど、数々のトップアーティストのバックダンサーとして日本の第一線で活躍してきたKarenさんが、いま、次なる大きな夢である「アメリカ進出」に向けて一歩を踏み出しています。
挫折を乗り越え、地元・兵庫への感謝を胸に世界へ挑むKarenさんに、これまでの歩みとこれからの夢についてお話を伺いました。
アーティストとしての原点は「兵庫県」での日々。ダンスに魅了された少女時代
宝塚市で生まれ育ったKarenさんですが、アーティストとしてのルーツは、ここ兵庫県で過ごした何気ない日常や、地域の人々との触れ合いの中にありました。
4歳から始めたバレエ、そして運命の出会い
Karenさんがダンスの道を歩み始めたのは4歳の頃です。元宝塚歌劇団の先生のもとでクラシックバレエを習い始めたのがきっかけでした。
当時はお姉さんの付き添いで、実はあまり好きではなかったのだそう。
しかし、そこで培った確かな体幹や基礎が、現在のヒールダンスの指導といったプロの仕事にしっかりと活きています。
その後、マイケル・ジャクソンのパフォーマンスに衝撃を受け、本格的にストリートダンスの世界へ進みます。宝塚市の逆瀬川にある「Very Jam Dance Skool」へ通い詰め、毎日のようにレッスンを受ける日々が始まりました。
「自分のダンスで、地元の皆さんをこんなにも笑顔にできるんだ!」
と肌で感じた瞬間が、今でも心に残っているそうです。
13歳で掴んだ最年少バックダンサーの座
大きなターニングポイントとなったのは、1人の恩師との出会いでした。
一時はダンスを辞めようかと悩んだ時期もありましたが、先生のもとへ学ぶため、中学生ながら宝塚から神戸まで1人でレッスンに通うようになります。
そして13歳の時、アーティスト・MINMIさんのバックダンサーオーディションに見事「最年少」で合格し、淡路島で開催された大型フェスの大舞台に。
たくさんのお客様からの温かい拍手と大歓声を浴びたその瞬間、「私は絶対にプロのダンサーになる」と強く心に誓ったそうです。
憧れの倖田來未さんと同じステージへ。東京で積み上げたプロとしての実績
高校卒業後、一度はアメリカへ留学したものの、その後は活動の拠点を東京へ移し、プロダンサーとしてのキャリアを本格的にスタートさせました。
これまで、倖田來未さんをはじめ、三代目J SOUL BROTHERSさん、ちゃんみなさん、加藤ミリヤさんなど、名だたるトップアーティストのライブツアーやミュージックビデオ(MV)に出演。
さらに、ダンスインストラクターとして後進の育成にも励んでいます。
そんなKarenさんにとって、忘れられない大切な思い出が2つあります。
年齢制限で諦めた過去を乗り越え、夢のステージへ
10代の頃、テレビで観てはダンスを完コピするほど憧れていたのが倖田來未さんでした。当時、バックダンサーのオーディションを見つけたものの、年齢制限に阻まれ受けることすらできなかったという悔しい過去がありました。
それでも「いつか必ず同じステージに立つ」と夢を諦めず、東京で実績を重ねた結果、なんとその夢が現実のものに。憧れの人の後ろで踊る切符を、自らの実力で掴み取ったのです。
大舞台でのソロパート
大きなステージでアーティストと並び、1人で踊る「ソロパート」を任せてもらったことも、Karenさんの大きな自信に繋がりました。
バックダンサーにとってソロを任されるのは最高の名誉であり、大きなプレッシャーを跳ね除けて見た景色は、一生の宝物だと言います。
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次なる舞台はアメリカ。超難関「O-1ビザ」への挑戦
日本で華々しい実績を築いたKarenさんですが、心の中にはずっと温め続けていた幼い頃からの「一番大きな夢」がありました。
それは、「アメリカで、海外のトップアーティストのバックダンサーとして世界ツアーを回ること」です。
17歳の時に「トビタテ!留学JAPAN」の制度を利用して短期留学を経験したことで、その想いはさらに強くなったというKarenさん。
高校卒業後に再び渡米し、現地のダンスエージェンシーのオーディションに合格したものの、立ちはだかったのが「ビザ(査証)」の壁でした。
アメリカでプロのパフォーマーとして働くには、日本での圧倒的な実績や経歴が必要だと知ったKarenさん。夢を叶えるために一度日本へ戻り、東京で一生懸命にキャリアを積んできたのは、すべて「もう一度アメリカへ挑戦するため」。
現在Karenさんは、世界的に優れた業績を持つ芸術家だけに与えられる、極めて取得が難しいとされる「O-1アーティストビザ」の取得に向けて、全力で準備を進めています。
「簡単な道ではありません。修得に向けて大変なことも多いですが、一度は目の前まで見えて手が届かなかったあの夢を、今度はしっかり形にしたいです。
そしていつか、アメリカでの活動を通して日本公演のステージに立ち、家族や友人、お世話になった兵庫の皆さんに恩返しのダンスを見てもらいたいです。兵庫出身のダンサーとして、地元の方に誇りに思ってもらえる存在になりたいです」
挫折しそうなとき、心を支えてくれたのは「大好きな兵庫」
夢に向かって全速力で走り続けるKarenさんですが、東京や海外で悔しい思いをし、挫折しそうになったとき、いつも心を救ってくれたのは地元・兵庫県でした。
「私にとって地元・兵庫県は、挑戦し続ける私の心を支えてくれる大切な拠り所です。
地元へ帰ると、愛情いっぱいで迎えてくれる家族や、変わらず応援してくれる友人、お世話になった方々がいます。それだけじゃなく、近所の人や街で会った人まで気軽に声をかけてくれる。そんな人の温かさに触れるたびに、『また頑張ろう!』って勇気をもらえるんです」
兵庫の皆さんへ。Karen Saitoさんからのメッセージ
最後に、夢を追いかけている地域の皆さんや、記事を読んでくれている兵庫の読者へ向けて、心強いメッセージをいただきました。
「『努力すれば夢は叶う』という言葉があります。私は、その言葉は本当だと思っています。
ただ、努力をすれば必ずすぐに叶うということではなく、挑戦し続けることで夢に近づいていけるのだと、自分自身の経験を通して感じています。夢や目標は、一つじゃなくてもいいと思います。実は最近、子供の頃に夢ノートに書いていた『ギリシャ・サントリーニ島へ行く』という夢を叶えました。何個もある夢の中で一つ叶えられたら、それが自信になり、また次の夢へ挑戦する力になります。
もし今、夢に向かって頑張っている方がいたら、自分を信じて挑戦し続けてほしいです。5回挑戦して1回成功するかもしれません。だから、恐れずに一歩踏み出してみてください。うまくいかなければ、また次へ。その先には今までに見たことのない素敵な景色が待っています。
私も世界という新しい舞台へ挑戦します。地元・兵庫県への感謝を胸に、夢に向かって歩み続けます」
兵庫からの夢を応援しよう
コメントの端々から、周囲への感謝を忘れない誠実なお人柄と、ダンスに対する熱い情熱が伝わってくるKarenさん。
兵庫県宝塚市から東京へ、そして世界最高峰のステージ・アメリカへ。
学校帰りによく訪れたという宝塚の山の上から見える夜景と広い空に向かって、「いつか夢を叶える」「もっと頑張る」と自分に言い聞かせていた少女は、今、次の夢のスタートラインに立っています。
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