新緑薫る、五月。
祝日前後の土日もあいまって休みいっぱいのイメージの5月上旬ですが、中でも「こどもの日(5月5日)」はすぐに思いつく祝日のひとつではないでしょうか。
こどもの日、と言えば「鯉のぼりを立てる」「兜など五月人形を飾る」「柏餅を食べる」、「男の子の祝日」というイメージですが、漠然と「健康にすくすく育つよう願う日」というイメージ。
こどもの日は、端午の節句とも呼ばれ、各地で祝日にちなんだイベントや行事が行われますが、謂れや起源はどこに?
こどもの日
昭和二十三年法律第百七十八号「国民の祝日に関する法律」(1948)により制定された国民の祝日。
内容としては「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」となっています。
「こどもの日」に男女は関係ない
「こどもの日」という祝日には男の子、女の子の性別に関係はありませんが、「男の子の祝日」というイメージはなぜあるのでしょう。
端午の節句
「端午の節句」は日本の四季を彩る五節句(※季節の節目となる日)のひとつで「節句」は陰陽五行説を起源とする暦での「節」となる日。
一月七日 | 人日の節句(七草の節句) |
三月三日 | 上巳の節句(桃の節句) |
五月五日 | 端午の節句(菖蒲の節句) |
七月七日 | 七夕の節句(笹竹の節句) |
九月九日 | 重陽の節句(菊の節句) |
五節句
陰陽五行説では奇数(1、3、5、7、9)を「陽」として縁起のいいもの、偶数(2、4、6、8)を「陰」として縁起が悪いものと考えられていましたが、月と日が同じ奇数の場合は足すと偶数(陰)となることから、特に注意が必要と考えられていました。
端午の節句の起源
古来中国では月の初め(端)の「午の日」の厄払い行事として毎月あった「端午の節句」ですが、特に雨季となる五月(旧暦、現在の5月下旬から7月上旬)は疫病や害虫の多い月「悪月」として、穢れを祓うために菖蒲が用いられていました。
菖蒲は強い香りが厄払いになると考えられたためで菖蒲湯や、お酒に入れて菖蒲酒として飲むことで厄払いをしたと言います。
「午」は「五番目の月*」であることから、次第に五番目の月(5月)、「午」と「五」の音から5月5日が端午の節句となりました。
また当時日本では五月には早乙女(さおとめ:田植えを行う女性)が田植えの前に身を清める「五月忌み」と呼ばれる風習があり、端午の節句として菖蒲湯、菖蒲酒で身を清める風習が広まりまり、平安時代には、宮中行事として端午の節会が行われるように。
五番目の月*
そんな疑問をもたれた方はいませんか。
なぜ「午=5番目の月」?
明治5年(1872年)までは太陰太陽暦(※一般に旧暦)が使われていた日本。
古代中国では冬至を含む月に、北斗七星の取っ手の先が真下(北の方角)を指す(※建す「おざす」)ため、十二支の最初の「子(ね)」をあて、建子月(けんしげつ)としました。旧暦正月(1月)は異名は建寅月(けんいんげつ)ともいい、
旧暦正月(1月)は「寅」の方角を北斗七星の柄が「建(おざ)」す(指す)ため、建寅月(けんいんげつ)。
ということは
- 1月 寅
- 2月 卯
- 3月 辰
- 4月 巳
- 5月 午
関連イベント
かさがた温泉せせらぎの湯:ふところ館の男女とも内湯のみで「菖蒲湯」を開催
開催日時 | 2022年5月3日(火・祝)~5日(木・祝)10:00~21:00 *最終受付20:00 |
「男子の節句」
「井上玩具店(朝来市)」
武家社会だった鎌倉時代から江戸時代には厄払いに使われた「菖蒲」を「尚武(武道、軍事を重んずること)」の言葉にかけ、男の子が逞しく成長することを願うようなったことから、「端午の節句」は「男子の節句」として定着。武士をイメージする「兜」などの武具を飾るようになったといいます。
鯉のぼりを飾る理由
「大空に泳ぐ鯉のぼりのように逞しく、立派に育ってほしい」という意味はなんとなく知っていても、ナゼは付きもの。
「いつから?」「なぜ鯉?」「一番上のフキナガシの意味は?」
こんな疑問をもった方もいるでしょう。
江戸時代、将軍に男の子が生まれると家紋のついた旗や幟(のぼり)を立てて祝う風習がありました。やがて武家に広がり、男の子が生まれた印として幟を立てるようになりました。
その後、武家に対抗するべく、商人たちは中国故事の「鯉の滝登り」とあわせ、男の子が立派に出世する、という意味をこめて鯉のぼり作ったのが始まりとされています。
一番上にたなびくフキナガシは「陰陽五行説」による万物の要素である「木、火、土、金、水」の5色(五行)が取り入れられています。
関連イベント
「グリーンエコー笠形(神河町)」
「フロイデン八千代(多可町)」※5月末まで
※2021
県立フラワーセンターでは4月23日から5月31日まで「鯉鯉(こいこい)まつり」として亀ノ倉池上空や芝生広場など、園内各所約200匹の鯉のぼりが春の空を泳ぎます。
まとめ
「端午の節句」はもともと厄払いの節句だった風習に、武家、男子の成長を願う風習が加わったものとということが分かります。
五節句は江戸幕府では公的な行事・祝日と定められていたものの、明治6年に祝日は廃止。1948年に「端午の節句」である5月5日は「こどもの日」として祝日になりました。
こうしてみると「こどもの日」と「端午の節句」は同じ5月5日でも意味するところは異なりますが、ともに子の健やかな成長を願う節目の日ということには変わりはないでしょう。
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