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柳田國男の体験談をもとに。朝ドラ「ちむどんどん」挿入歌『椰子の実』

本土復帰から50年の節目を迎える沖縄が舞台のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」。

4月11日からスタートした本作は、遠く離れ、会えなくても、心はつながって支えあう個性豊かな沖縄四兄妹の本土復帰からの歩みを描く、笑って泣ける朗らかな50年の物語。

「ちむどんどん」4月15日の第5回放送では挿入歌として愛知県の伊良湖岬を重ねた島崎藤村作詞の『椰子の実』が流れ、ネットでは「主人公が沖縄を出てから故郷を想う唄なのでは?」「沖縄の人ではなく、本土の人(ヤシの木がない地域の人)の気持ち」と様々な意見が。

※トップ画像:柳田國男 生家(福崎町)

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島崎藤村『椰子の実』

椰子の実

『椰子の実』は、島崎藤村が椰子の実の漂泊の旅に自分が故郷を離れてさまよう憂いを重ねて詠んた、と言われていますが、そこに福崎町名誉町民第1号、福崎町が誇る民俗学の父「柳田國男」の姿がありました。

「柳田國男」とヤシの実

柳田國男は、東京帝国大学在学中の明治31(1898)年の夏、23歳の時に伊良湖に約2か月逗留し、滞在記「遊海島記」(明治35年)を著しました。その時の様子を滞在後、半世紀を経て書かれた『海上の道』(昭和36)には、椰子の実の記述があり、新体詩の仲間だった島崎藤村に伝えたといいます。

柳田國男は民俗学者になる以前は、松岡國男という詩人

途方もなく古い話だが、私は明治三十年の夏、まだ大学の二年生の休みに、三河(みかわ)の伊良湖崎(いらござき)の突端に一月余り遊んでいて、このいわゆるあゆの風の経験をしたことがある。

(略)

舟の出入りにはあまり使われない四五町ほどの砂浜が、東やや南に面して開けていたが、そこには風のやや強かった次の朝などに、椰子の実の流れ寄っていたのを、三度まで見たことがある。

(略)

一度は割れて真白な果肉の露(あら)われ居るもの、他の二つは皮に包まれたもので、どの辺の沖の小島から海に泛(うか)んだものかは今でも判らぬが、ともかくも遥かな波路を越えて、まだ新らしい姿でこんな浜辺まで、渡ってきていることが私には大きな驚きであった。
この話を東京に還(かえ)ってきて、島崎藤村君にしたことが私にはよい記念である。『海上の道』

愛知県田原市伊良湖町には「柳田國男逗留の地」の記念碑があり、公園などの整備が進められています。

渥美半島観光ビューロー
渥美半島だより【渥美半島観光ビューロー公式サイト】の観光スポット・観る「柳田國男逗留の地」です。

「幼い日の私と、その私をめぐる周囲の動きとは八十余歳の今もなおまざまざと記憶に留って消えることはない。」と故郷(福崎町)への思いを著書『故郷七十年』の起筆に記した、柳田國男。

「ちむどんどん」ではその後4月21日の第9回放送でも流れた故郷を想う『椰子の実』の唄。今後の展開が気になるところです。

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