皆さん、自分の通っていた小学校にちょっとした自慢や記憶に残る場所はありますか?
遊具や設備、友達と駆け回った校庭など…とりわけ6年間通った場所ならではのエピソードがあるかもしれません。
そんなある日、福崎町立田原小学校(兵庫県神崎郡福崎町)に取材予定ができたので、まずはGoogleマップで駐車場を確認することに。
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妙な違和感が。
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なんだこれ?
まー、このサークル以外にも校舎出てすぐが運動場ではなくて林っぽいのもなんか気になるんですけど。
どうにも気になるそのサークル。
さらに拡大しようとしたものの限界があり、中央が少し盛り上がっていることだけは見て取れる。なんとなく砂場かな、と推測していると、田原小学校出身者の一人が一言。
でんげんざん?
なんだか聞きなれない単語が飛び出しました。
校庭にあるサークルは「山」
でんげんざん!?…聞きなれないワードに混乱。
さらに話を聞くと、どうやら20年以上前は校庭のこの盛り土は「田原山(でんげんざん)」と呼ばれ、陣取り合戦や駆け上ったりと子どもたちに親しまれていたのだそう。
ほんとに『田原山』?
そして学校に
「ほんとに?山って…本当にそう呼んでるの?」と半信半疑のまま小学校を訪れ、教室から見てみると、確かに盛り土がタイヤで囲まれていて、砂の流出を防ぐためのようにも見える。
どうしても気になったので取材ついでに児童の一人に聞いてみました。
「うん、、でんげんざん。田原山って書いて『でんげんざん』!」
なんと、20年以上経った今も「田原山(でんげんざん)」の名で、子どもたちの遊び場として愛され続けていることが判明!
校舎のすぐそばには、県内でも珍しいアスレチック施設「冒険遊びの森」も併設されており(※昭和56~57年「冒険遊びの森」づくり )、子どもたちはここでも自由に遊び回れるのだとか。
福崎町立田原小学校の謎のサークルの正体は長年にわたってその名を伝える「田原山(でんげんざん)」で、校庭のシンボル的存在ということが明らかに。
地元の文化が息づく「でんげんざん」があり、今も昔も変わらず田原小学校の子どもたちに親しまれるスポットでした。
田原小学校(沿革概要)
※「広報ふくさき」より
- 1873年(明治6年2月)
明徳、知泉、金鶏、田原、柔遠の5小学校を設置 - 1907年(明治40年7月1日)
南田原尋常小学校と合併し田原尋常高等小学校となる 。
新校舎落成移転(開校記念日)
(学級数11 児童数563人) - 1956年(昭和31年5月3日)
町村合併により福崎町立田原小学校と改称 - 1979年(昭和54年8月27日)
校舎改築竣工式。(学級数17 児童数562人) - 1981~1982年(昭和56~57年)
「冒険遊びの森」づくり - 2004年(平成16年11月2日)
スクールヘルパー活動開始 - 2007年(平成19年7月1日)
校訓の制定「自主・健康・感謝」創立100周年記念式典、「田原サポートクラブ」発足
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