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【加西市】地域の偉人「ラジオ体操考案者 大谷武一 生誕の地」看板が設置。ラジオ体操の歴史もしらべてみた

【加西市】地域の偉人「ラジオ体操考案者 大谷武一 生誕の地」看板を設置

「ラジオ体操」と言えば夏休みや運動会、体育の授業などでおなじみの体操。

このたび加西市大柳町に「ラジオ体操考案者 大谷武一(おおたに ぶいち) 生誕の地」の看板が設置されました。

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大谷武一(おおたに ぶいち)

大谷武一さんは兵庫県加西市出身、1887年(明治20年)生まれの学校体育指導者。東京教育大学体育学部初代学部長でもあり、「ドッジボール」の名づけ親でもあったりします。

うさ(仮)
wikiなどで略歴などが見れますがソフトボール、ハンドボールを日本に紹介されたり、紫綬褒章なども受けられているスゴイ人

ラジオ体操の元となる「国民保健体操」の考案者の一人

1928年5月24日に簡易保険局、日本生命保険会社協会、日本放送協会の三者が昭和天皇即位を祝う事業として体操の考案を文部省に委嘱。

文部省では体育課長の北豊吉を委員長とし、体育研究所技師の大谷武一などを7人を委員として検討を重ね10月29日に国民保健体操の名称で発表されたものがラジオ体操となりました。

調べてみると「茨城県ホームページ」では「ラジオ体操…茨城県出身の遠山喜一郎が作った動きとリズム」という情報があり正確にはラジオ体操の元となる「国民保健体操」の考案者の一人と言えるでしょう。

ちなみに1945年の戦争で一時中断され1951年(昭和26年)より現在の「ラジオ体操」が誕生します。

ラジオ体操の歴史

※概略

1925年(大正14年)ラジオ放送による健康体操がアメリカの生命保険会社で行われる。
1927年(昭和2年)国民の健康の増進等を目的とし簡易保険局がラジオ体操の実施を決定(昭和天皇即位を記念して行うべき国民的事業を検討するための会議内)
1928年(昭和3年)文部省では体育課長の北豊吉を委員長とし、体育研究所技師の大谷武一などを7人を委員として検討を重ね10月29日に国民保健体操の名称で発表
1929年(昭和4年)ラジオ体操全国放送
1945年(昭和20年)旧ラジオ体操を中止
1951年(昭和26年)現在のラジオ体操第1を制定、放送開始
1999年(平成11年)「みんなの体操」を制定
2019年(令和元年)みんなの体操20周年

看板の設置場所は加西市大柳町

写真から推測するに加西市大柳町の大柳バス停横に設置された様子。

(トップ画像:加西市観光まちづくり協会)

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