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『幻想神崎郡史』―時を記録する郡、消えゆく町の物語―

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幻想神崎郡史
エンタメ

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【第三章】現れるもの、消えるもの

三月の終わり。
まだ山の空気は冷たく、神河町の北、北山集落跡へと続く林道には、かすかに雪の名残が残っていた。

「ここだ。……でも、地図上には何も書かれていない」

天野遼は車を停め、助手席の槙野綾音とともに降り立った。
目の前に広がるのは、ただの森。だが綾音の手元にある旧版地形図には、はっきりと「北山」の名が刻まれている。

二人は地図を頼りに、落葉を踏みしめながら山道を進んだ。

15分ほど歩いたところで、風が止まり、空気が変わった。
音が消える。鳥の声も、木々のささやきも——。

そして次の瞬間、木立の先に人家の灯りが見えた。

「……あれ、家ですよね?」

「いや、そんなはずは——」

草に覆われているはずの土地に、電柱が立ち、白熱灯の光が地面に円を描いていた。
その先には、トタン屋根の平屋が数軒。
まるで昭和中期で時が止まったかのような、牧歌的な集落が確かに存在していた。

誰かが洗濯物を干している。
ラジオの音が風に乗って聞こえてくる。

「……これは幻覚か、記憶か……それとも、“保存映像”のようなものか?」

綾音がそっと前に出る。
ふと、ひとりの子どもがこちらを見上げて、にっこりと笑った。

その瞬間、風が吹き抜け、景色がすっと色褪せた。
家々は徐々に透け、光だけが残り、やがてすべてが霧のように消えていった。

——記憶が、再生されていた。

その場に残っていたのは、朽ちた石垣と、風で倒れた木の柱だけだった。

遼と綾音は、福崎町の研究室に戻ると、写本を開いた。
前回訪れた地下資料室で見つけた『神崎郡史・補遺』だ。

新たなページに、見慣れない墨文字が浮かんでいた。

北山集落:記録起動確認。
該当地域において時の圧縮が成立。昭和38年時点の生活記録を再構成。
目撃者A、Bの接触により、再記憶化完了。

「目撃者A……Bって、私たち?」

「記録媒体としての郡——その仮説が正しいとすれば、いまの“現象”は、まさに記憶の再生だ」

遼は興奮を抑えながら言った。

「郡には人が住み、暮らしが積み重ねられてきた。
その“日々の記憶”が、一定の条件で“映像”として可視化されている。
まるで……土地そのものが、記憶を保持するデバイスのように」

「だけど……どうしていまになって見えるようになったんでしょう?」

綾音の問いに、遼は答えられなかった。
だが、答えは写本の最後に書き加えられていた。

郡の輪郭が崩れるとき、記録は発露する。
“消滅”の前に、地は語り始める。

数日後、福崎町の観光交流センターに勤める片桐慎吾から連絡が入った。

「GAJIRO像、動いてたぞ。写真ある。お前に見せたほうが早いな」

遼は写真を見て絶句した。
像の首が、前回見たときよりも明らかに別の方向を向いている。

「これ……深夜に撮った?」

「朝5時。防犯カメラには誰も映ってない。でも、像の周囲に——なんというか、電子ノイズみたいなのが記録されてる」

綾音が小さくつぶやいた。

「きっとGAJIROも、“記憶”の一部なんだよ。……それも、私たちが作ったんじゃない。
この郡が、自分自身を残そうとして、浮かび上がらせた“存在”なんじゃないかな」

——人も町も、妖怪も。
すべては「記憶の構成要素」なのかもしれない。

遼はふと、GAJIRO像の写真を指差した。
像の足元に、なにか刻まれている。

「……なにこれ、文字?」

画質を上げると、石の台座に小さな英数字が彫られていた。

KGS.003-R.MEM.

「KGS……Kanzaki Gunshi Storage……第3記録メモリ?」

そこにあるのは、町の顔としての“像”ではない。
神崎郡という名の記録装置の可視端末だった。

遼の背筋に、冷たいものが走った。

物語は、ただ始まっただけだった。

(続く)

次ページ:【第四章】郷土と幻想の境界

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