日本の代表的な紙として文化を支えてきた兵庫県多可町の北部・杉原谷で生まれた「杉原紙(すぎはらがみ)」は古くは奈良時代の正倉院文書にも「播磨経紙」の名が見られ古代の播磨紙の技術や伝統をもとにした和紙。
長い伝統をほこった杉原紙(すぎはらがみ)も明治時代には機械漉きの技術も普及し始め、徐々に手漉き紙業者の数が減少。大正14年には杉原谷での紙漉きの歴史が途絶えることになりましたが昭和45年(1970)、郷土史家・藤田貞雄氏が『杉原紙-播磨の紙の歴史』を刊行。宇高弥之助翁をはじめとする紙漉き経験のあるお年寄りを中心に、半世紀ぶりに杉原紙の紙漉きが再現されました。
2020年は杉原紙復元から50周年の節目になります。
杉原紙のルーツ
多可町の北部・杉原谷で生まれたとされる「杉原紙」は、こうした古代の播磨紙の技術や伝統をもとにした和紙であると推定されています。
杉原紙が文献上に初出するのは、関白・藤原忠実の日記『殿暦』の永久4年(1116年)の条。忠実が、自分の娘と息子それぞれに家宝の調度品とともに「椙原庄紙(すぎはらしょうのかみ)」100帖を贈ったと書かれています。藤原家代々の家宝に添えて贈った紙ということは、このときの杉原紙は最高級のものであったことが推測されます。(杉原紙の里)
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