【第二章】写本の予言
福崎町から北東へ車で約30分。神河町の小高い丘に、町立の郷土資料館がひっそりと建っている。
木造二階建て、築70年。館内には土器や農具、かつての集落の写真が並ぶが、訪れる人はまばらだ。
その日、遼はこの資料館で、ひとりの高校生と出会う。
「あなたが……天野先生ですか?」
声をかけてきたのは、神河高校に通う2年生、槙野綾音。
短く切り揃えた髪、山育ちらしい落ち着いた目元。どこかで見た顔だと思ったその瞬間、思い出した。
——旧・郡史編纂課長、槙野浩三の孫だ。
「祖父の書斎に、この鍵があったんです。郷土資料館の地下室……たぶん、あなたが探しているもの、そこにあると思います」
差し出された古びた鉄鍵には、手彫りで「K.G.S」と刻まれていた。
K.G.S——Kanzaki Gunshi Storage。神崎郡史保存庫。
遼は驚きながらも案内を頼み、綾音とともに資料館の奥へ向かった。
職員に許可を取り、奥の階段を降りる。半世紀以上誰も立ち入っていないという地下室には、湿気と土の匂いがこもっていた。
そこには、埃をかぶった小さな木箱が一つ、ぽつんと置かれていた。
綾音が手を伸ばし、ふたを開ける。中には、一冊の写本——**『神崎郡史・補遺』**と題された、見覚えのない書物があった。
「これ……あなたの写本と同じ書体じゃないですか?」
遼は、震える手でページをめくった。
『神崎郡が裂かれる日、郡に生きた者の記憶は、地より浮かび上がる。
人口最下位が条件を満たすとき、記録装置は“活性化”し、境界は失われる。
そして、郡は“時の節”となる。』
「——“時の節”?」
その語は、遼の専門分野でも聞いたことがなかった。だが直感が働く。これは、郡全体が“時空の結節点”として機能する構造体なのだと。
「待って、このページ……」
綾音が示した箇所には、まるで「今この瞬間」を描いたような記述があった。
『写本を開いた者の名は“アマノ”。鍵を持つ者は“槙野”。
この出会いが記録の再起動を促す。未来史はここから再び書かれる。』
二人は黙り込んだ。目の前のページには、確かに自分たちのことが、まるで“記録済み”のように記されていた。
——誰が、こんな未来を写し取ったのか。
——いや、それよりもこの先、何が「書かれて」いるのか。
「……この写本、書き足されていく気がしませんか?」
綾音がつぶやいた。
「自動的に?」遼が返す。
「それとも……私たちが行動することで、記述が“増えていく”?」
まるでこの本は、過去だけでなく、未来の観測記録でもあるかのようだった。
しかも、観測者は「自分たち自身」。
外では風が吹き抜け、遠くで雷のような音が響いた。
地面の奥深くで、何かが目覚めようとしている。
二人は、写本を抱えて地下室をあとにした。
その背後で、開けたままだった小箱の中に、ひときわ鮮やかな青い光が、一瞬だけ灯った。
(続く)
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