兵庫県市川町谷区の横倉山観音堂に安置される秘仏・十一面千手観世音菩薩の御開帳が、11月2日に行われました。
この御開帳は江戸時代から続く33年に一度の伝統行事で、2日の開帳から翌3日の御閉帳まで、住民や観光客を含め、多くの参拝者が訪れました。
横倉山観音堂に祀られる十一面千手観世音菩薩は、谷区の北西にある振古川沿いに位置し、参道を約1km登った場所にあります。
通常、15年ごとの「半開帳」では観音堂での開帳が行われますが、33年ごとの「本開帳」では、仏像が約1.5km離れた龍音寺(りょうおんじ)まで運ばれ、特別な法要が営まれます。
今年の本開帳では、2日は悪天候のため、観音堂から麓まで仏像を車で移送し、公民館を経由して龍音寺へと運ばれました。
翌3日には天候が回復。
秋晴れのもと、子供たちの無病息災と成長を願う「稚児行列」も行われ、落語家としても知られる「露の団姫(つゆのまるこ)」さんも落語と法話を披露し、会場は笑いの渦に。
法要が終わった後、住民や観客の見守る中、観音菩薩は再び観音堂に奉送され、御閉帳が無事に終了しました。
次の本開帳は33年後、2057年になります。
横倉山開山縁起
約400年前、横倉山には法道仙人開基の延命寺(※ hyogotendai-yb.net 内では「圓明寺」表記)があり、1300年前の名僧、行基菩薩の作といわれる千手観音がまつられていましたが、天正年間(1573~1592年)に兵火にあい、一夜のこのうちに焼け落ちたといいます。(※兵火のち現在の地窪谷に建立、妙法山龍音寺と改称)
それから、80年の歳月が流れ、江戸時代の正保(1644~1647年)のころになると、毎月17日の夜になると決まってこの峰に光を放つ物があり、それがこの観世音菩薩であるとわかり、お堂を建立し、祀ったとというのが観音堂の縁起。
見つかった観音様は兵火もあって焼けており、観音堂の建立の際に新たに十一面千手観世音菩薩が作られ、焼けた観音像は「焼け観音」として同じく祀られています。
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