生野銀山に御来山印が登場。
神社や寺院において、納経、参拝の証として押印される印章・印影「御朱印(ごしゅいん)」。御朱印集めがブームとなっていますが、近年ではお城の「御城印」「御船印」も登場しています。
御来山印は御朱印「山」版といったところでしょうか。但馬守護 山名祐豊、太田垣朝延(竹田城主)、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の家紋をあしらった五種類で各300円。
史跡 生野銀山
生野銀山は、竹田城を築いた但馬の守護大名山名氏が室町時代に開坑、その後、竹田城主を勤めた太田垣氏が銀山を守り、戦国の世以降、かの織田・豊臣・徳川それぞれの直轄鉱山として、時の政権の財政を支えたと言われています。
歴史
- 807年 銀が出たと伝えられる
- 1542年 但馬守護職・山名祐豊(すけとよ)が銀石を掘り出し、開坑の起源
- 1556年 太田垣朝延、祐豊から銀山の領有権を奪取
- 1579年 織田信長代官を置く
- 1583年 豊臣秀吉代官を置く
- 1601年 徳川家康は、但馬金銀山奉行を配置、佐渡金山、石見(いわみ)銀山と並び天領として徳川幕府の財政を支える
- 1716年 「生野代官所」が置かれ、やがて生野銀山は第八代将軍・吉宗の頃に最盛期
- 1868年 日本初の官営鉱山(政府直轄)
- 1890年 生野鉱山と佐渡鉱山が皇室財産に移され、宮内省御料局の所管に
- 1897年 三菱合資会社に払い下げられ、以後、三菱の経営で国内有数の大鉱山として稼働
- 1973年 閉山
- 1974年 観光施設として史跡・生野銀山が開業
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