三椏(ミツマタ)
三椏(ミツマタ)は高級和紙、紙幣の材料としてもその名を知られ、明治12(1879)年に初めて紙幣用紙の原料として採用されてから現在まで伝統が受け継がれています。
「ミツマタ」の由来
ジンチョウゲ科ミツマタ属の落葉低木でガンピ等と同様に和紙の原料として使用されているミツマタは枝が次々に三つに枝分かれしていくことが名前の由来。花は内側が黄色く外側が白で、観賞用に一般家庭でもひろく栽培も。
神河町と三椏(ミツマタ)
かつて北播磨地方でも和紙の原料として栽培が盛んだったミツマタは神河町では明治初期からスギの林間栽培の形で盛んに栽培が行われてきました。
冬季の農閑期の仕事としてミツマタを削いで白皮になった状態のものを製紙会社へ出荷されていましたが和紙需要の低下により出荷が行われなくなりましたがその名残は町内に広くみられ春先には自生の三椏(ミツマタ)が花を咲かせます。
現在神河町では日本紙幣の原料として独立行政法人国立印刷局中国みつまた調達所(岡山)の協力のもと山の再生として町産「みつまた」の栽培、出荷を力を入れており、早春の頃になると各地で小さな黄色い花を咲かせます。
長谷地区
田舎暮らし・カクレ畑さんより
2000キロほどの三椏(ミツマタ)を伐採、搬出
今日は朝一番から三椏の搬出作業。
2週間ほど前に10日間ほど山に登って2000キロほどの三椏を伐採しました。
紙幣の材料としての出荷です。春を過ぎて新札を見たらこの三椏かもしれません。
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